PROJECT STORY

17秋 レクサスCT
モデルチェンジストーリー

2015年、レクサスCTは2回目のマイナーチェンジの話が持ちあがった。
我々を主体にやらせてほしい―。後のプロジェクトリーダー内村は手を挙げた。
企画から製造まで一貫してクルマを作り上げることは、トヨタ自動車九州の悲願だった。

MEMBER

  • 写真:内村 容基也

    技術統括部技術企画室
    PJT・製品企画グループ

    内村 容基也

  • 写真:久保 孝司

    第2生産技術部塗装生技室
    塗装設計グループ

    久保 孝司

  • 写真:吉田 哲

    第2生産技術部塗装生技室
    塗装計画グループ

    吉田 哲

  • 写真:松本 邦広

    設計部ボデー設計室

    松本 邦広

  • 写真:牛島 昭徳

    設計部内装・機能設計室
    内装設計グループ

    牛島 昭徳

  • 写真:松原 怜史

    設計部電子設計室
    マルチメディア設計・電子実験グループ

    松原 怜史

  • 写真:李 亨

    生産管理部新車進行管理室
    1プロジェクトグループ

    李 亨

完成までのフロー図

一般的な車両開発フロー

完成までのフロー図

メンバーと担当業務

メンバーと担当業務

圧倒的な存在感を
トヨタ自動車九州初の企画から製造までの一気通貫プロジェクト

レクサスのデザインアイコンとなったスピンドル型の大きなグリル。切れ長の目を思わせるヘッドランプが力強い表情をつくり出し、滑らかで優美な車体の曲線と溶け合う―。
2010年に誕生したレクサスCTが2017年秋、2回目となるマイナーチェンジを経てよりスポーティーに進化した。最新の技術を盛り込んだ一台は、福岡県宮若市のトヨタ自動車九州から生まれている。

「次のマイナーチェンジは我々が主体になってやらせてほしい」。トヨタ自動車九州 技術企画室 主幹の内村容基也は2015年、2回目のマイナーチェンジの話を耳にし、そう切り出した。トヨタ自動車九州はトヨタが開発する自動車のボデーメーカーとして車両製造を担う一方、2008年から部分的な車両開発にも乗り出していた。バンパーの一部受託開発からスタートして、その後、受託領域と車種を拡大させてきた実績もある。
企画から製造まで一貫してクルマを作り上げることはトヨタ自動車九州の悲願といえた。
その後、これまでの経験が認められ、2016年初め、内村をチーフに九州主導のマイナーチェンジがスタート。

今回のマイナーチェンジでは、すでに安全性能の細かい基準をクリアしているボデーの基本構造はいじれない。そのためバンパーやグリル、ランプでどれだけ印象を変えられるかが鍵になる。しかも、発売日まで約1年半というタイトなスケジュールが決まっていた。通常のフルモデルチェンジでは3、4年かけることを考えると、半分以下の期間だ。
「やりたいことはやろう」。企画チームの内村は方針を掲げた。こだわったのは「スポーティ感」と「存在感」。停車中はもちろん、すれ違いざまでもバックミラー越しでも「レクサスが来た」と認知してもらえる圧倒的な視認性を目指した。

アイデアを形に
法規と性能を満たし、かっこよさ追求

2015年夏、マイナーチェンジが本格始動するのを前に、車体のアイデアスケッチがデザイナーから外装設計室の松本邦広の手に渡った。その大きく開いたグリルとそれを覆う網目の形状に目を奪われ「メッシュ(網目)のかっこよさはレクサスCTの武器になる」と確信した。そして同時に、頭を抱えた。デザイナーから提示されたスピンドル形状をモチーフにしたシャープなメッシュ形状はトヨタグループでも初めての試み。グリルなどの外装部品は衝突時の歩行者保護のため鋭角であってはならないという法規がある。デザイン案はメッシュの幅が広く、タイヤがはじいた小石などを飲み込むおそれもあった。
デザイナーがこだわったシャープな意匠を維持しながら、法規と性能をどう満たしていくか。「このかっこいいデザインを何とか具現化したい」。松本は、外装のチーフとしてのプレッシャーのなか、トヨタグループ初の試みという高揚感が不安をかき消していくのを感じていた。
その後は毎週、トヨタ自動車のデザイナーのもとに出向き、法規面と技術面で実現可能なパターンを提案しながら互いの譲れる部分、譲れない部分のぶつけ合いが続いていく。妥協しそうになるといつも「この車を自分が買ったら」と想像した。これを買ったらうれしいか。乗ったらわくわくするか、安心できるか―。お客様の視点で見るからこそ、小さなことにも手を抜けなかった。課題のメッシュ部は、幾重にも法規チェックと対策検討を行いシャープ感を維持。下がるにつれてメッシュの幅が広がるというデザインも、目立たないよう奥に格子を設定することで解決。松本は「ほぼ100%具現化できた」と自信をのぞかせた。

一歩先の技術へ
海外仕様車のツートーン塗装

レクサスCTでは海外仕様車でのみ、新ツートーンのデザインが用いられている。新ツートーン塗装では下地の色に違う色の塗装を行う際、マスキングを行うため段差が生まれ、境界部の品質が悪化し、ひっかかりが発生するという課題があった。そのため境界部に対して組み付け部品を設定し、段差を隠すことが一般的だった。

しかし今回、クルマのカラー設計を担当する塗装生技室GMの久保孝司と同室の吉田哲に求められたのは、組み付け部品なしでの塗り重ねによる2色化。段差の課題をクリアして2色の量産化ができれば、今後、ボデーのいろいろな場所が色分けできる。車体デザインの可能性を広げる挑戦だった。
当初、企画の話を聞いたときには、「これまでにない挑戦で、量産化が出来るわけない」と感じた両者。それでも2人は今後の塗装技術のための大きな一歩であると決意を固める。

久保は、すぐに塗料メーカーと材料の検討を始め、実験を重ねながら設計サイドからの塗膜性能品質のアプローチを行った。
一方で、吉田は、最適塗装工法の検討を1年かけてあらゆる塗装パターンを探った。
高い費用と時間をかければ、新ツートーンはそれほど難しくはない。しかし、1分に1台流れる製造ラインに乗せて量産化するためには、どこかで品質とコストの折り合いを付けなければならない。製造現場と一体となりこれまでのあらゆる知見を皆で結集させ工法が確定したのは量産化の1週間前。「満点ばかりではないが、自分たちの技術を合わせていくことでレクサスにふさわしい品質ができた」と久保は成果を語る。

見本を持って何度も交渉した製造現場も受け入れてくれた。「あきらめず、粘り強くが教訓になった」と久保は振り返る。

久保とともに新ツートーンの技術開発を担当した吉田も「工法の開発には、多くのエンジニアとの連携と時間が必要。でもフレキシブルな動きができるトヨタ自動車九州だから、各部門との綿密な打ち合わせや調整を繰り返すことが可能となり短い時間での立上げができた。」と話す。デザイン、設計など各担当者との打ち合わせによって顕在した課題には、トライ&エラーを繰り返しながら一つひとつをクリア。「自分たちの手で成し遂げるという夢を実現するため、徹底的に品質にこだわり、結果としてやりきれた」と当時の挑戦について語った。

光ったスピード感
コンパクトな体制が支えた進捗管理

「ツートーン塗装が抱えた課題は、トヨタ自動車九州の強みを再確認する機会にもなった」。新車進行管理室の李亨は、そう実感している。李の役割は企画・開発から発売までの全体スケジュールを組み立て、進捗を管理すること。特に「期限内に、各部署の課題の決着点を提案する役割」と解説する。新ツートーンは当初より、難航する課題の一つとして想定されていた。よりよいクルマにしたい思いはみんな同じ。ただし、スケジュール内に発売できなければ元も子もない。
ツートーンで生まれる段差はどの程度であればレクサス品質に耐えうるのか。李は社内全体で判断できるよう、早め早めに塗装部門の進捗状況や課題点を関係部署に共有し、決定までのプロセスを迅速化させた。
ここで光ったのが、企画・開発から製造までコンパクトにまとまったトヨタ自動車九州の開発・生産体制だ。塗装品質は電話会議では伝わらない。トヨタ自動車九州では2016年春のテクニカルセンター開所により、開発部門と生産技術部門が同じ建物に入った。組み立ての工場もすぐそばにある。必要があれば10分で関係者が集まり、現物を手に取って膝を突き合わせて議論ができた。李は「すごいスピード感。メールより電話、電話より対面という会社の強みが発揮された」と手ごたえを感じていると話す。

さらなる挑戦へ
クルマ作り「やり抜く力示せた」

CTでは、室内のラグジュアリー感もアップさせた。ナビゲーションディスプレイを従来の7インチから10.3インチに大型化。搭載する地図などのソフトウェアもバージョンアップさせた。わずか3インチ大きくするだけも、限られた車内空間ではたくさんの制約が立ちはだかる。エアバッグが開くのに支障がでないか。体格やシートポジションに関係なくディスプレイ全体を視認することができるか。
電子設計室の松原怜史と内装設計室の牛島昭徳はディスプレイ配置や配線の1本1本までこだわり抜き、居心地のいい車内を生み出した。
2017年4月、いよいよマイナーチェンジしたCTの試作車が製造ラインを流れた。製造工場には内村をはじめ30人ほどの関係者が集まり、生み出されたばかりの1台目に群がった。「スケッチが実車になったな」。企画から製造まで「自分たち」で生み出したレクサスCTを、内村はしみじみと見回した。

CTマイナーチェンジの成功は、トヨタ自動車九州に何をもたらしたのか―。
トヨタ自動車九州はトヨタ自動車の車両製造拠点として位置づけられている。そのため「これまで企画や開発部門の存在があまり知られていなかった」と内村は分析する。100年に一度の変革期といわれる自動車業界。内村は「今あるクルマを作り続けるだけでは生き残ることはできない」と断言する。「今回の成功で、企画から製造までこだわりをもってやり抜く力は示せた。今後もさらなる領域へトヨタ九州一丸となってチャレンジしていく」。

九州から世界へ―。その合言葉を力に、トヨタ自動車九州は今、新たな一歩を踏み出した。